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なんにもない!(EVERYTHING GONE)
 〜タイ・インド洋大津波の痕跡を訪ねる旅2005〜

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◆ピピ島 Ko Phi Phi

4.廃墟となった「楽園」

プーケット島から南東へ48km。
ピピ島は世界10指に入るダイブスポットとして
知られる美しい島だ。

島に到着して唖然とした。
ピピ島はこれまで見たプーケット島のどの海岸よりも
ひどい状態だった。

海岸線から何十メートルも離れているというのに、
建物はことごとく破壊されている。
町全体がまさに廃墟と化していた。


≪ほとんどの建物は津波によって破壊された≫

ピピ島は、両岸からはさみこまれるようにして津波の
猛襲を受けたという。島の中心部が括(くび)れ状に
細長くなっており、その距離は直線にして二百メートルほど
しかない。

別に泳ぎにきたわけではなかったので、
さっそくボランティアに参加することにした。
どうやら特定の窓口があるわけでもなく、来た人は
適当にグローブにシャベルをもってガレキの撤去に
当たるらしい。
島にはアメリカやイギリスなどから多くの若者が
応援に駆けつけていた。皆一様に“Hi Phi Phi”と
書かれたTシャツを着ているのですぐにそれとわかる。

炎天下の中、汗水たらしながらレンガやコンクリートの撤去。
ガレキをのけたら、その下から洗濯中の洋服、お皿、
マヨネーズの瓶、音楽CD、くさったチーズ・・・
いろいろ出てくる。悪臭もただよう。
サンダルが出てきたときは、まだその下から人間の足が
出てきそうな雰囲気だった。


≪ガレキの山であふれかえった道≫

まわりのボランティアたちと二、三会話しながら
そのまま夕暮れまで作業。ボランティア、といえば
聞こえはいいが、中身は実際かなりつらい。
掘っても掘っても、際限なくガレキは出てくる。
あまりにもデカくて運べないので、ハンマーで小さく
砕き、また運ぶ。20人がかりで1日かけて家1件分の
ガレキ撤去が限界だ。

自分たちの作業とは対照的に、浜辺ではクルージングで
やってきた観光客らが一日バカンスを楽しんでいる。
それに応えるかのように、ピピ島の太陽は、まるで1ヶ月
前の大津波が存在しなかったかのように、
きれいな夕焼けを空に描く。

コンクリートの粉塵とホコリの舞う工事現場での
作業は、この自然の作り出す美しさとおよそかけはなれて
いて、不釣合いな感じさえする。

こんなに急いで復興させる必要があるのだろうか?
復興しても、観光客が以前のように大量に押し寄せて
島を汚していくだけだ。もっと自然なペースで少しずつ
島を元通りにしていけばいいのではないだろうか。

そんな悠長な思いを抱いてしまうくらい、この島は
のどかで平和だった。


5.津波の体験


≪ピピ島で土産物屋を営むタイ人≫

津波の被害者たちは意外なほど
赤裸々に津波当時の体験を話してくれる。

災害の当事者に事情を尋ねるのはよくないことと
思い込んでいた。だが、どうやら彼らは話をすることを
あまり嫌がらない。

心的外傷(PTSD)の患者には、
自らのつらい体験を「話す」ことも必要だという。
「話す」ことによって気持ちを整理し、
自らのつらい体験を前向きに受け止めることが
できるようになるからだ。

つらい話を聞くことが被害者を傷つけるとは
かぎらない。

彼らはひょっとしたら、自分たちの話に
耳を傾けてくれる人を探しているのだろうか。


6.ボディトーク


≪自らも津波被害にあったという地元の大工さんたち≫

昨日の橋作りの現場にいた男が
「COME(来い)」というからついていったら、
彼らの住む木材を継ぎ合わせただけの小屋へ。
彼らはちょうど昼ごはんを食べ終わって、
休憩中のところだった。

根掘り葉掘りいろいろな質問を浴びせられた。

「いつまでいるんだ」
「どこに泊まってるんだ」
「いつピピへ戻ってくるんだ」
「彼女はいるのか」

こっちはタイ語がまったく話せないので
完全にボディートークだ(向こうも英語はまったく
話せない)。

タイの人たちは他人との間にあまり距離を置かない。
仰々しくなることも、ビジネス然となることもない。
だから私のようにタイ語を一言も話せない人間でも、
気軽に家に招待してくれる。

彼らとの距離が一歩縮まったような気がした。


7.「伝説」と呼ばれた男


≪島のみんなから頼りにされるコージさん≫

内陸にあるバンガロー「RIMNA」の
建物の取り壊しを手伝った。

とはいっても、スタッフはみな素人なので、
どうやって作業したらいいかもよくわからない。
見よう見まねで作業をすすめる。

そんななか、一人スーパーバリューを
発揮していた人物がいた。

大阪から一人でやって来たというコージさんだ。

さすがに本物の大工さんだけあって、バリューを
発揮していた。西洋人たちが力づくで壁を
叩き割っているのに対し、
コージさんはトンカチで2、3回叩くだけで、
壁の板をどんどん取り外していく。

英語ができなくても、その存在感は抜群だ。
腕っ節ひとつでみんなの信頼を勝ち取る「スキル」。
世界に通用するすごい日本人がここにもいた。

ボランティアスタッフのあいだでは「Legend(伝説)」
というあだ名で呼ばれている。

まさにプロのスキルをもった男にふさわしい称号だ。

(しかも昼間からビールを飲みながら仕事する
スタイルが、ますますその存在を伝説化している。)


8.無駄なボランティア


≪15代国王の銅像。以前は石台の上に立っていたという≫

みんなで北側のビーチを清掃した。
炎天下のなか、長時間作業をしていると
のぼせてくる。

それにしても、ビーチのゴミやガラスを拾うのはわかるが、
落ち葉拾いやココナッツ集めは意味がわからない。
やるべきことは他にもあるだろうし、そもそも津波とも
関係ない。

ボランティアといっても、実際のところ
どれだけ意味があるのか、よくわからない作業も
多い。

昨日の作業など、まさに「他人の庭掃除」だった。

島の北側にあるバンガロー「ROCK」のオーナーが
ビジネスを再開したいというので、 手伝うことに
なった。だが、実際のところ、私たちがやったのは
庭のゴミ拾いだった。

ガレキの撤去とか、ビーチの清掃とか、津波で
被害のあった場所を掃除しようというならわかる。
だが、もともと汚れていた場所を、なぜいまになって
掃除しなきゃいけないのか。

そもそも、ゴミ捨てとか庭掃除とか、別にボランティア
スタッフがやらなくてもいいはず。
ボランティアを雇うのはタダだからといって、自分勝手な
仕事を押し付けるのはどうかと思う。

挙句の果ては、大工のコージさんに
ドリンク販売用の小屋を建ててほしい、と注文して
きた。まあ、たしかに彼の得意分野には違いないが、
そんなものはお金払って、専門の業者さんを雇ってください、
と言いたくなる。ボランティアスタッフにたまたま
専門の大工さんがいて、タダで作ってもらえるから
ついでに頼もうってのは、虫がよすぎると思う。

困っている人は助けるべき。だが、特定の人の
金儲けを支援をするのは何かちがう。

バカバカしくなってきたので、午後はグループを抜け出して
ビーチを清掃した。海水が届かない白砂の部分を
コージさんと当たった。

今日で全体の3分の1くらい終了しただろうか。


≪一緒にボランティアをやった仲間たち≫

夜、ビーチ清掃のあと浜辺でボランティアのみんなと
飲んだ。やはり、みんなもボランティアの「意義」について
疑問を抱いているようだ。誰を助けるべきか、どの作業を
優先すべきか、で意見が食い違う。

結局、助けを必要としている人全員を平等に助けることは
できない。たまたま先に島に戻ってきた人たちが店を
再開したりするのを手伝っているだけだ。

でも、自分たちが支援している人たちは、そもそも
あまり助けを必要としていない裕福な人たちなのかもしれない。
自分たちは、はたして、本当に必要な人たちを助けているのだろうか。

議論は平行線をたどったまま、結論をみることはなかった。


9.政府から働くなと言われる


≪橋建設作業を進める男≫

「明日はタイ政府の高官がこの島を訪れるらしく、
ボランティアは休みになる」

ボランティアスタッフの一人が教えてくれた。

その言葉に、一瞬耳を疑った。

タイ政府は建前上、外国の力には一切頼らないことに
している。だから、各国からの支援金も断った。
周辺のアジア諸国と違い、自分たちは十分に経済発展
している、だから外国人ボランティアの
活動なしでも自分たちの力で復興できる、というわけだ。

そんなバカな、、、とおもったが、
どうやら本当の話らしい。

2月7日の政府取り決めにより、
ボランティアであっても外国人が働く場合には
労働許可が必要となった。違反した場合には、禁固3年
ないしはB30000(約9万円)の罰金が課せられる。

もっとも、タイ政府の方としても言い分がある。
目的や所在のあやしいNGO団体が寄付金を不当に集め、
個人商店のビジネス再開に当てている、
といったことがしばしば行われてるからだ。
ボランティア要員をしっかりと把握し、不透明な寄付金の
流れを管理しようというわけだ。

とはいっても、急に言われても労働許可なんてそう
簡単に取得できるわけがない。しかも、ピピ島には
短期滞在のボランティアたちがたくさんいる。たとえ正しく
労働許可を申請しても、タイ政府にお金の使途について
ヨコからごちゃごちゃ言われるのは迷惑極まりない。

(というか、お金の使い道についてはタイ政府の方が
よっぽどあやしい)

結局、問題をおこしたくなかったので、明日は
全員ボランティアを休んで、観光客のフリをすることに
なった。もし聞かれても、
自分たちは「有志でピピ島にきた個人の集まり」で、
「いかなるNGO団体にも所属していない」、という
奇怪で奇妙な建前をとることになった。


≪鉄くずを積んだ貨物船。ここからクラビへ向かう≫


10.ガラスの砂浜

ピピ島のビーチには、津波で割れたガラスの
破片がいたるところに散らばっている。

その数があまりにも多いので、危なくて
ビーチでは裸足であるくこともままならない。

実際、島に船でやってきた外国人が裸足で
足を切ったということがある。 昨日はビーチで
遊んでいた地元の子供がケガをした。

かつての「楽園」は、もうサンダルなしでは
歩くことができない。

ボランティアスタッフで夕食を食べていたとき、
その話題が出た。そのとき、
大阪からきた大工のコージさんが突然口を開いた。

「おれは海が好きやから、この島をもう一度裸足で
歩けるようにしたいねん!」

これだ、と思った。

ボランティアといっても、ここ数日間はゴミを拾ったり、
他人の店を掃除してきたりしたが、目的がいまいち
はっきりしない作業が多かった。
ゴミといっても、津波の前からあったようなものまで
掃除したりしている。

もう一度、ピピ島のビーチを裸足で歩けるようにする――。
その願いにかけてみようと思った。


≪砂の中のガラスを懸命に探すボランティアたち≫

翌日からさっそくコージおじさんと2人で
作業をはじめた。

しばらく作業をしていると、あとから新しく島に
やって きたスタッフたちが手伝うと言ってきた。
どうやらチームリーダーのリチャード(オランダ)が
呼んでくれたらしい。
気づいたら、総勢10名以上になった。

みんなヨコ一列になってガラスの破片拾い。
まるで遺跡の発掘調査でもしているかのように
スコップで砂の中にあるガラスを取り除いていく。
半日かけて30メートルくらい進むのがやっとだ。

傍から見れば異様な風景だ。地元のタイ人たちも
興味を示してきた。何千、何万とあるガラスの
破片を一つ一つ手作業で取り除いていくなんて、
キチガイとしか思えない。

だが、だれもが何かをせずにはいられない
状況だった。みな無口になって、砂のなかから
ガラスの破片を掘り出し始めた。



 


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