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なんにもない!(EVERYTHING GONE)
 〜タイ・インド洋大津波の痕跡を訪ねる旅2005〜

thailand まえがき 旅のルート バンコク プーケット ピピ島 クラビ カオラック あとがき


◆あとがき Epilogue

タイ人に津波のことについて尋ねると、
きまって返ってくる答えがある。

「何もない(everything gone)」だ。

2004年12月26日にインドネシア・スマトラ沖で
おこった大地震は、わずか2時間後にタイ西岸部に津波と
なって押し寄せ、人々を恐怖のどん底に突き落とした。

何百年、何千年とかわることなく雨季と乾季を繰り返して
きたこの国を襲った未曾有の大津波。
何kmにもわたる豊かな海岸線をもつカオラック、
プーケット、クラビ、そして沿岸の島々のビーチは
津波を防ぐ障害となるものもなく、押し寄せる
大津波の衝撃をまともに受けた。

10数分おきに押し寄せる3度の洪水。

波が引いたときには、何も残されていなかった。
町はことごとく破壊され、多くの人が行方不明となった。
半時とたたない短い間に、家族も、友人も、親戚も、恋人も、
家も、店も、ボートも、すべて失った。
まさに一瞬のできごとだった。
「なんにもない(“everything gone”)」だ。

さらなる打撃はこの国の経済をささえる観光産業の
低迷だ。本来ならベストシーズンのこの時期に、
観光客の数は激減し、多くの人が職を失った。
つい一月前に何十万人もの命が失われた海でのんきに
海水浴をしようなんて、普通の人間は思わない。
町は確実に復興に向かいつつあるのに、ホテルはどこも
空室でいっぱいだ。

私がタイへ行ったのは、
津波発生から1ヶ月弱を経てからだった。
津波の痕跡を追い求めて、プーケット島西岸の被災地を
まわり、そしてさいごピピ島にたどり着いた。

ピピ島での3週間のボランティア活動。
当初、効率の悪さこそ目立ったものの、災害現場での
ボランティア活動を通して学ぶことも多かった。

西洋からのボランティアたちのすごいところは
タイの人たちへの挨拶を欠かさないことだ。
知っている2、3の単語を駆使して
「SAWATDI KHRAP(こんにちは)」
「SABAI DI REU?(お元気ですか)」
と尋ねる。
そうすれば、彼らの顔にも一瞬の笑みがこぼれる。

ボランティアは決して町の復興のためだけにあるのでは
ない。ぼろぼろに傷つき、家族や友人、家も、仕事も、
何もかも失ったタイの人たちの心のカウンセリングに
来ているのだ。

彼らはタイの人たちの前で決して涙を見せない。
それどころか、いつも笑顔を絶やさない。そんな
基本的な姿勢がここでは大きな心の支えとなっている。

ボランティアの人間ができることは少ない。
意思疎通の難しさから無駄な作業や誤解も重なった。
自分たちが1日かけて取り除いたガレキの山も、
重機を使って撤去すれば、わずか数時間で済む量だ。

だが、シャベルを地面に突き刺し、コンクリートの塊を
どけたとき、その意味に気づかされた。
洗濯中の下着、いつもかかっていた音楽CD、
よく使ってたナベやミキサー、最愛の人との写真…
そんなものが次から次へと出てくるのを
想像してほしい。
誰がそれらをまともに直視できようか。

直接の当事者でない外国人だからこそ、できる仕事がある。
不要なものは容赦なく捨てることができる。
タイの人たちができないことだから、外国人ができる。
それが結局、外国人のできるボランティアなのだと思う。

津波はタイの人々からすべてを奪っていった。
この厳しすぎるほどの試練は、地元の人たちに決して
目を向けることのなかった外国人観光客と、
一方的に搾取されるだけの存在であったピピ島の人たちを
人間的に近づけた。

失ったものはこれから少しずつ時間をかけて元通りに
すればいい。元に戻らないものは、みんなで一緒に
受け止めればいい。

タイの人々の生活が早く元通りに戻り、心に平和が
訪れることを祈っています。

2005年3月10日

(おしまい)



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