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インドネシア探訪記2006

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◆ジャカルタ Jakarta

★夜を徘徊する少年

「1つ7000ルピア(約80円)だよ」

そう言って何食わぬ顔で少年が薄汚い袋から
取り出したものに、思わず目を見張った。
違法コピーされたアダルトDVDが数百枚。
ジャケットにはなんの恥じらいもなく、
全裸を披露する女性たちの姿があった――。

ぼくは首都ジャカルタ北部のコタ地区に来ていた。
「この街の貧しい人たちはどこに暮らしているんですか」と
ホテルのフロントで何気なく聞いたら、
この地区を紹介してもらったのだ。
近年、犯罪が多発しているため、夜はあまり出歩かない
ほうがよいのだという。

「でも興味あるんだったらつれてってやろうか?」

オーナーのそのやさしい言葉に、
「えーい社会勉強だ」と思い、二つ返事。
30分後には夜の街に繰り出していた。

治安が悪いと言っても、まったく出歩けないわけでは
ないようだ。街ではごく普通の日常生活が営まれていた。

港のそばでは若いカップルが海を眺めながら
愛を語りあい、いまにも倒れそうな掘っ立て小屋の中では
ビールを飲んで酔っ払った男たちが、サッカーの
試合中継に大声を張り上げていた。



≪左上から時計回り。ジャカルタ市民の足バジャイ、港に停泊する船、
コタ地区にしかない自転車タクシー、駅で夜を明かすホームレスの人々≫

その少年と出会ったのは、コタ駅のすぐそばだった。

ジャワ島の各都市への列車のターミナル駅と
なっているこの駅は、日中多くのビジネスマンや
学生などでにぎわう。だが、夜になると駅の出入り口は
柵で閉ざされ、ホームレスやストレートチルドレンが
夜が明けるのを静かに待つ場所となっていた。

あまりにも彼の身なりがみすぼらしかったので、
てっきり年老いたホームレスなのかと思った。
だが、帽子を脱いだ彼はまだ16歳の少年だった。
夜になるとこのあたりでDVDを売って、
生計を立てているというのだという。

肩から担いでいる薄汚い布袋に入っていたのは、
あさったゴミでも、生活道具でもなく、
少年にとっての「商品」だったのだ。

一日にだいたい何枚売れるの?と聞いたら、
彼はびしっと指を3本立てた。

・・・3枚??? 

ってことは、言い値どおり
1つ7000ルピアで売ったとしても、彼の日収は
200円くらいにしかならない。

そのわずかばかりのお金を稼ぐため、
夜の街を徘徊するこの少年の姿に、
途上国インドネシアの姿を垣間見たような気がした。


★チャイナタウンでの出会い


翌日、中華系の屋台などがひしめく
チャイナタウンを歩いた。

複雑に入り組んだ路地と、活気に満ちた
マーケットがどこか懐かしいアジアの香りを感じさせる。
町を行く人たちも、インドネシア人というよりも、
日本人や中国人に似た顔つきの人たちが多い。

ぼくは懐かしい風景に惹かれるようにして
歩いているうちに、この界隈にたどり着いた。
あたりには市場特有の野菜や生魚の香りと、
下水や生活用水などが入り混じった、
鼻を突くような異臭が漂ってくる。
道路沿いはゴミだらけだ。

何度も同じ道を行ったり来たりしているうちに
顔を覚えられたのか、笑顔で挨拶してくれる人たち。
カメラを取り出すと、自分も撮ってほしい、と言ってくる。
そして撮り終わったら、今度はカミさんを、そして
友達を撮ってほしい、と次々に注文が飛んできた。

「どこから来たのか?」
「いつまでいるのか?」
「ジャカルタは好きか?」

誰かが話しかけると、そんな質問が矢継ぎ早に飛ぶ。
もちろん言葉がわからないので、手まねで
必死にコミュニケーション。

通りの入り口あたりで暇つぶしをしていた
高校生くらいの年齢に見える若い警官たちは、
ぼくの返答の仕方がおかしかったのか、
冗談を言っては笑いあった。

チャイナタウンから出たときには、
すっかり日が暮れかかっていた。
今日一日でぼくはいったい何人と会話したのだろう。

次第に暗くなる夕暮れの町を眺めながら、
ついさっきまでの人たちとの会話が、
まるで遠い夢のなかの出来事であったかのように、
ぼくはなんだか不思議な興奮に包まれていた。


≪カメラを向けても笑顔を見せてくれなかった≫


★貧困とニワトリと少年たち

ジャカルタ北部コタ地区は、オランダ統治時代に
「バタビア」という名前で栄えた地域だ。
付近には、現在でも植民地時代の名残りを感じさせる
西欧風の建物などが残されている。
そしてそこから遠くない港の近くには
「パサール・イカン」と呼ばれる魚市場がある。

市民の生活を見てみたいと思い、さっそく市場へ。
チャイナタウンよりもさらに干乾び、ゴミにまみれた
通りを突き進むと、いつしか貧しい家並みが建ち並ぶ
小さな路地へと迷い込んでいた。

あたりにはガチョウやらニワトリやらがうろつき、
細い路地からは子供たちが急に飛び出してくる。
夕食の時間だからだろうか、家の前ではなにか
揚げ物のようなものを調理していた。

ジャカルタの都心では見かけない、この庶民的な
風景に、ぼくは不思議な心地よさを感じていた。
互いに寄り添うように建てられた家のあいだを
細い路地が走る。ゴミとゴハンの匂いが入り混じった
香りに嗅覚が麻痺しそうになりながらも、
さらに奥を目指して歩いた。

このニワトリたちはいったいどこからやってくるんだろう・・・?

小道のあいだを抜けると突然、目の前の光景が
広がった。

そう、
ぼくはいつしか「スラム」に迷い込んでいたのだ。


≪ここが子供たちの遊び場となっている≫

目の前にはゴミの山と化した空き地。
まわりには今にも倒れそうな掘っ立て小屋が
建ち並ぶ。

空き地にはバナナの皮から空き缶までいろいろな
ゴミが捨てられ、そして燃やされていた。
そのゴミ山の上をガチョウやニワトリが餌を求めて、
ほっつき歩いている。

これだけ不衛生な場所なのに、ニワトリが
餌を探して普通にうろつき、そのすぐそばで
子供たちが元気にはしゃぎまわっていた。

「死」という恐怖と同居しながら、おそらくそのことを
特別なことと思わずに生活している人々。
「貧困」と「死」はここではすぐ隣り合わせだ。
子供たちは新しくやってきた異邦人に興味津々。
ぼくの手をとり、一緒に遊ぼうとする。

子供たちの無邪気な笑顔を前に、
ぼくはどう反応すればいいのかわからなくなった。


≪子供たちが物珍しそうにたくさん集まってきた≫


  


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