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インドネシア探訪記2006

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◆ジョグジャカルタ Yogyakarta

★被災地で見かけたメッセージ


≪ジョグジャカルタの郊外には美しい田んぼが広がる≫

深夜特急に乗って、ジャワ島中部の古都ジョグジャカルタに
着いたのは朝5時過ぎだった。
ジョグジャカルタは、「ジョグジャ」と呼ばれ、
大学と芸術で知られる町だ。

頭のなかでは、昨晩見た光景が何度も
よみがえってきた。
途中停車した駅の構内で横たわっていた人々の影。
あんな真夜中にいったい何をしていたんだろう。
次の電車を待っていたのか。それともあそこで朝になるまで
時間つぶしをしていたのだろうか・・・。

ジャワ島中部地震の発生から2週間。
死者5800人を出した大災害により、
ジョグジャから観光客の足はすっかり遠のいていた。

ジョグジャに到着した初日、ホテルに荷物を下ろすと、
バイクに乗って、さっそく被災地を見てまわることにした。

市街から少し離れると、すぐに倒れたビルや
道路の亀裂などが目に飛び込んでくる。
被災地にはすでに各国からの支援部隊や
NGOなども入っていて、いたるところにUNICEFや
英国軍のテントなどが設置されていた。

「大きな村には支援が届いているけど、ちょっと
田舎のほうへ行くと、まったく支援が届いていない場所も
あるよ」
と被災地域に住む男性が話してくれた。
まだ現場は混乱しているようだった。

避難キャンプの近くの看板には、こんなメッセージが
書かれてあった。

「見ているだけでなく、助けてください」



≪左上から、食糧の配給を待つ人々、倒れた仏像、崩壊した大学の校舎≫


★元気をもらった日


≪被災地で出会った子供たち≫

翌日、ぼくは被災地に支援物資を届けることにした。
どうせ一人の観光客にできることはたかが知れている。
だが、 このままなにもしないで帰ると、きっと一生
後悔するんだろうなと思った。

昨日一通り村を回っているので、だいたいの様子は
わかっている。家屋が壊れ、仕事を失った今、
被災者たちが最も必要としているのは食料だという。

ぼくの考えていることをこの町で知り合った友人ユダに
打ち明けると、彼やその友達(被災地出身)もそれなら・・・と、
ついてきてくれることになった。
こういう状況なので、彼らもあまりやることがないのか、
それともイスラム教の助け合いの精神なのかは
よくわからないが、とにかく事情を知っている人たちなので助かる。

まずはみんなで近くのディスカウントスーパーに行って、
米や食用油、乾燥メンなどを買出し。地元の人たちもよく
来るという店なので、さすがに安い。
買った物をチャーターしたミニバンにつめると、
座るスペースがないくらいにいっぱいになった。

目指すは、今回の震災で最も被害がひどかったとされる
バントゥル県。
村に着くと、さっそく物資を小分けにし、
85家族分(328人)の「緊急パック」を作った。
今日まわる予定の地区で、全・半倒壊した家の数だ。

荷物を台車に載せて、いざ出発!
なんだか外国人が変わったことを始めようとしているぞ、
と思ったのか、村の子供たちもあとをついてきた。

避難キャンプに住み、すでに援助が行き届いている
ところはいい。被害が大きいのに、まだ支援が
行き届いていない地域が残されている。
そういった地域を中心に、食料を届けることにした。

「ウントゥック・アンダ」(どうぞ)

片言のインドネシア語で物資を手渡すと、
満面の笑みを返してくれた。

「テレマカシー」(ありがとう)

照りつけるような日差しの中、大名行列のように
子供たちを引き連れて、台車で被災地をまわるというのは、
なんとも不思議な光景だった。

最初はぼくが何を渡そうとしているのかわからず、
困惑した表情を見せるおばあちゃんや、日本から来たときいて
喜ぶお姉さん。

住んでいるのか、いないのかよくわからない崩壊した瓦礫の
一軒家のなかに入っていったら、一人のおばあちゃんが寝てた。
突然の来客に驚いたみたいだったが、袋を手渡したら、
一瞬目を閉じて何かをつぶやいた。
ああ、きっと神に感謝してるんだな。
この小さな袋は彼女にとって、ぼくの親切や厚意ではなく、
神様からの贈り物なのかもしれない。
そう思うと、なんだか恥ずかしくなった。

今日彼らのために何かしたのだろうか。
もちろん、こんなわずかな量で被災者の生活が
楽になるはずはない。
でもぼくは彼らの見せてくれた笑顔が嬉しかった。

元気をもらったのはぼくのほうかもしれない。
そんなことを考えさせられた一日だった。


≪物資を載せた台車に乗って遊ぶ子供たち≫


★夜空にマグマが輝いて


≪朝日がゆっくり昇り始めると、周囲は幻想的な雰囲気に包まれた≫

ジャワ島中部の都市、ジョグジャカルタの歴史は、
この町の北にそびえたつ標高2968mのムラピ火山の
存在なくして語ることはできない。
近郊にある世界遺産のボロブドゥール寺院も、
ムラピ火山の灰によって何世紀もの間、埋没していたとする
説すらあるほどだ。

朝3時、ユダと一緒にムラピ火山に向けて出発した。
ちょうど一ヶ月前、ムラピは大規模な火砕流を起こしていた。
真夜中に行けば、夜空に光り輝くマグマが見られるよ、と
教えてもらったのだ。そんなにきれいな光景を見逃すわけには
いかない。

ぼくたちは絶対に安全とされる、火口から5キロ離れた高台
(ビューポイント)までバイクを飛ばした。

外はまだ真っ暗。だが、高台には光り輝くマグマを
一目見ようと、すでに何人かカメラマンが集まっていた。
地元の記者や外国のカメラマンもいるみたいだ。
耳を澄ますと、ときおり火山が噴火する音がゴゴーと
聞こえてくる。

それにしても、いくら熱帯とはいえ、
さすがに標高2000m近い場所まで登ってくると、
体が凍えてくる。
焚き火で体を暖めながら、何時間もムラピ火山を
眺めた。真っ暗な夜空に溶岩流が花火のように輝き、
噴火の轟音が力強く響いた。

ぼくはその場に座って、日が昇るまでずっと大地の鼓動に
身を任せることにした。


≪ムラピの火山灰をかぶった花≫


★間一髪


≪シーズン中だというのに、ボロブドゥールにはほとんど観光客がいない≫

カンボジアのアンコール・ワット、ミャンマーのバガンと並ぶ
東南アジアの3大遺跡、ボロブドゥール。
別に遺跡マニアなわけではないが、せっかくこの地に
来たのだから、ボロブドゥールくらいは見ておこうと思い、出発した。

ボロブドゥールは世界最大級の仏教遺跡とされる。
どれだけスケールがでかいのか楽しみにしていたのだが、
実際見てみるとちっちゃい。メインとなる建造物は一つだけだ。

それでも、広大な森のなかに古代遺跡がひっそりとたたずむ姿は、
どこか目を見張るものがある。

1日1万人の訪問者を数えるという、このインドネシアきっての
観光名所も、ジャワ島中部地震とムラピ山の噴火という2つの災害で、
がらがらだった。遺跡そのものはほとんどダメージを
受けていないのに、だ。

普段は忙しく公園内の案内をする遺跡ガイドも、
何もやることがなく、退屈そうにしている。
ぼくは外国人と話したがっている地元の高校生たちと
世間話をし、彼らと写真を撮り、遺跡でのんびりとした時間を過ごした。

さて、遺跡見物を終え、ジョグジャカルタ市内のホテルに戻ると、
何か様子がおかしい。
スタッフのみんなが、テレビを食いつくように見ていた。

「何かあったの?」

ぼくが戻ってきたのに気づくと、
「ああ、よかった。俺たちは間一髪で助かったんだ」
とユダ。

「ムラピ火山がまた大規模な噴火を起こしたんだってさ」

テレビでは村が火砕流で飲み込まれる映像が繰り返し
流されていた。住民2人が死亡する大惨事となった。

それはぼくとユダが山を降りたわずか数時間後の
できごとだった。


  


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