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日本写真紀行 Japan Photo Trip

自分が生まれた国を、カメラとともにめぐる旅。


沖縄 2005年7月

日本で唯一、地上戦が展開された沖縄。
沖縄の人々はいまでも自分たちが60年前に
体験した出来事は 東京の大空襲や広島・長崎の
原爆とは比べ物にならない凄惨さだった、と考えている。

沖縄の原点。それは60年前を振り返ることから
はじまるのかもしれない。


竹富島。ありえないほど美しいビーチ

★「内地」という意識

小学生から「どこから?内地??」ときかれた。
思わず、ぎょっとした。
「内地」という言葉。
戦時中ならともかく、10歳そこそこの小学生の
口からそんな言葉が出てくるとは思ってもみなかった。

「内地」という言葉には、自分たちが「内」ではない、
外に存在する者という意識がつきまとっているように思う。

沖縄にきて驚かされること。
それは、この場所が私たちが沖縄を日本の一部と
考えている以上に、沖縄は私たちを拒絶しているという
こと。そして、沖縄は遠い「外国」だったということ。

本土のことを「内地」と呼び、内地から来た人間のことを
「ないちゃー」と呼ぶ。
まるで内地から来た人間を、自分たちとは言葉なる異質の
存在として捉えているかのように。

★基地問題

住宅地からわずか300mしか離れていない場所で
米軍による実弾射撃訓練が行われている。
そんな信じられない話が沖縄では日常茶飯事だ。
県民の怒りの抗議集会が金武町(キンチョウ)にて
開かれた。95年の米軍兵士による女子暴行以来の
大規模な県民集会に1万人が集まった。

沖縄の人たちの「大和人」に対する不信感が伝わってくる。
怒りのプラカードが日本語で書かれているのも、
それが駐留米軍に対してではなく、日本政府に対して
向けられているということを示している。沖縄では、大和
からきた人間はみな「外国人」だ。

彼らは歴史的にも文化的にも異なる大和の人たちが
沖縄に対して行ってきた残虐な行為を忘れていない。
本土にいると、沖縄も日本もともに戦ってきたという
感覚があるが、ここでは大和の人間も立派な敵だ。

基地問題というと「日本とアメリカの問題」と考えがち
だが、沖縄の人たちにとっては、沖縄とアメリカと日本
という三つどもえの争いなのだ。

★辺野古(名護市)

「100キロの荷物を運ぶのに、ひとりの人間が75キロももって、
残りの99人が25キロというのはおかしいとは思いませんか」

ジュゴンの生息する海を守るため、辺野古で座り込み運動を
続ける市民グループを訪ねたときのこと。
基地建設反対運動の参加者がこんな例え話をしてくれた。
本島のいたるところでみかける基地負担の話だ。

全国土の1%にも満たない沖縄には、在日米軍基地の75%が
集中している。この不平等こそ、まさに沖縄県民の怒りの理由だ。

沖縄へのこの過度の負担は、いやがらせとしか理解されていない。
第2次大戦で、沖縄は本土決戦を遅らせるための「捨て駒」と
なった。「民族的にも劣った」沖縄の人たちへの差別感のもと、
迷惑な基地を押し付けられているという意識が強い。

もっとも、基地移設の賛否に関しては、地元住民の間でも
意見が分かれる。あるべき論としては、「基地はいらない」と
皆思っているが、実際は親戚・友人などに基地関係の仕事に
携わっている者もいたりするため、表立って「反対」を
唱える者は少ない。

また、こういった反対運動を繰り広げているのが大和
(ヤマト=本土)の人間たちのため、地元の人間から
みたら、不信感が根強い。よそ者がやってきて、勝手に
運動を繰り広げていることに対する反感だ。

辺野古では、いまだに「ヤマトの人間は帰れ」と
住民たちから罵倒されることもあるという。本土から
基地問題に関心をもって、多くの人間が自腹を切って
座り込み運動に参加しているのに、地元の人たちの反応は
冷たい。

「沖縄の人にこそ参加してほしいんです」
そう語る活動家の方の言葉が印象的だった。



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