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日本写真紀行 Japan Photo Trip
自分が生まれた国を、カメラとともにめぐる旅。
広島 2005年8月
★ヒロシマへ
8月6日、広島。
原爆が落とされてからちょうど60年目のこの日、
広島を訪れた。
この日本に「戦争」があったということ。
平和を求めて、おじいちゃん、おばあちゃんたちが
死ぬ思いで戦ったということ。
平和でせわしい日常を過ごしていると、昔のことなんて
つい忘れてしまいそうになる。
でも、原爆の記憶は 60年もの間、日本人のなかで
脈々と受け継がれてきた。
いまの日本は60年前のあの日の延長にあるということ。
その確かな軌跡を感じたい。
だから、ヒロシマに行こうとおもった。
被爆の現場を自分の足で直接訪れ、被爆者たちの声に
耳を傾けること。
それが、60年前の「敗戦」の意味を理解し、被爆者たちの
気持ちに少しでも近づくことのできる方法なのだと思う。

平和記念資料館前にて。朝からたくさんの人々が
この日のために集まる
★原爆ドーム、平和記念公園

戦後60周年という節目の年ということもあって、
平和公園周辺は多くの人でごった返していた。
60年前の今日に思いをはせる被爆者たちや、
平和への祈りをささげる若者たち。
世界中からやってきた反戦・平和運動家たち。
平和公園は朝から異様な雰囲気に包まれていた。

平和記念資料館にはおびただしい数の遺品や手記が
展示されている。
ぼろぼろになった学生服、
真っ黒にこげた弁当箱、
ちりぢりになった髪の毛、
元の形もわからないほど溶けた赤レンガ、、、
ひとつひとつの遺品に、ひとりひとりのストーリーがある。
3年前には国立の追悼平和祈念館も開館した。
そこ に寄せられた被爆体験記の数、およそ10万点。
語りたい、伝えなければならない、という被爆者たちの思いが
伝わってくる。
60年間もの間、黙っていた被爆者たちも自らの体験を
後世に残すために、筆を取りはじめたという。
その数は今も増え続けている。

ライトアップされる原爆ドーム。灯篭流しを
みるために集まった人たちで川辺はいっぱいだ
★海上自衛隊・第一術科学校(旧海軍兵学校)

江田島の海上自衛隊・第一術科学校。
戦前は海軍兵学校であったが、現在では
海上自衛隊の教育機関として使われている。
メモリアル・ウィーケンドということもあってか、
多くの参加者たちが集まった。イラク戦争やテロなどで
国防や自衛隊に関する世間の関心も高まっていると
いうことなのかもしれない。
案内人を務めたおじさんは巧みなトークで楽しませてくれた。
圧巻は教育参考館には海自関係の遺品や資料が
展示されている 。
第二次世界大戦中に特攻隊として散っていった若者たちの
遺書がひときわ目を引く。
死を覚悟した若者たちが書いた文章。
直筆から伝わってくるメッセージの重み。
それははてしなく力強く、美しく、そしてはかない。
多くの将校たちがお世話になった両親への挨拶、
そして天皇への忠誠を書きつづっている。
手紙に小さな字でみっちりと書きつらねた者や
ハンカチのような布切れに詩をうたった者。
「まるでゲームだ」
と思った。
「敵を必ずしや轟沈(ごうちん)してみせましょう」
死に対する恐れというより、
死に対するあきらめの方が強い。
どうしようもなく抵抗することのできない社会の力。
個人ではなく、チーム優先の論理。
ひとりひとりは駒として散っても、チームとして勝てればいい。
そのために喜んで命をささげる若者たちの言葉が並ぶ。
「神出必沈」
神が出現して、敵艦隊を沈ませる。
我々のうしろには数々の奇跡をおこしてきた神=天皇が
ついている。
だから、必ず勝てる――。
そんな彼らの信念が伝わってくる。
自らの死を花にたとえて絵を描いた者も多かった。
一人の将校はこう書いた。
「戦争に勝って、春には美しい花を咲かせましょう」
胸が苦しくなった。
ここには日本の平和のために命を失った若者たちがいる。
今の日本の平和のために、彼らが命を失うことが必要だった
といえば、それは言いすぎだ。
だが、日本の平和を夢見て、自らの命を投げ捨てていった
若者たちがいる。
テレビをみながら、おいしいものを食べて一家で団らん。
そんな現代生活の平和の一幕が、多くの人たちの犠牲と努力の上に
成り立ってきたということ。
彼らの死の上に、私たちの生があるということ。
そのことを忘れてはならないんだと思う。

作業服で校内を歩く将来の自衛官たち
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